作家の室井佑月さんが3月28日放送の「バラいろダンディ」(TOKYO MX)に出演し、中学校の道徳教育に関して「すごいやだ」などと嫌悪感を示した。

番組では、産経新聞の「平成29年度の教科書検定結果」の記事を紹介。道徳の教科書は、これまでの読みもの中心ではなく「考え、議論する道徳」への転換が促されている。議論するきっかけとしてマンガを採用するものもあり、例えば手塚治虫の『ブラック・ジャック』から、患者を手術で救うブラック・ジャックと、安楽死を施そうとするドクター・キリコのそれぞれのセリフについて、気になる場面を抜き出して議論させる等の内容だ。(文:okei)


「時の権力の意向によって正義なんてコロコロ変わる」



画像は番組サイトのキャプチャ

他にも、『北斗の拳』から悪役サウザーのセリフ「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!!愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!!」を紹介、生徒に「愛とはどういうことなのか」と問いかける。『3月のライオン』からは、高校を留年しかかっている主人公に対する担任のセリフから、「誰かに頼れ」「でないと実は誰もお前にも頼れないんだ」を紹介し、「お気に入りの言葉があれば、それを友達に紹介してみよう」と提案している。

3月のライオンはともかくサウザーのセリフには、ラッパーの宇多丸さんも「分かりづらい!愛を問うときになぜこのセリフ」などと苦笑しつつ突っ込んだが、「議論させてみるってのはいいんじゃないですか」と肯定した。

しかし室井さんは「すごいやだ」と声を荒げる。

「だって自分でこう思ってるっていうのがあって、10年後にそのお気に入りを読み直してみたら解釈が違ったりとか自分の発見が正しいから、教師の言葉なんて必要ない」
「どうして道徳で教えなきゃいけないの」

と嫌悪感を示した。

室井さんは、漫画云々よりそもそも学校で道徳を教えること自体に異を唱えている。番組がコメンテーターに"道徳教育で教えるならこれを見よ"とお薦めアイデアを求めたフリップに、「道徳は教えるな!」と書くほどだ。室井さんは、「私は学校とか教師とかをあんまり信用していない」「その上の教育委員会も文科省も信用してない」として、

「長いものに巻かれろって考え方の人がどうやって教えるの。時の権力の意向によって正義なんてコロコロ変わるわけじゃない。教えてもらいたくないと思う」

などと抗議した。前文部科学事務次官の前川氏の件に触れ、「(文科省は)何かあったときに決して立ち上がらなかった組織なのに」とも批判している。


ウルトラセブンも議論の材料になるが、「授業になっちゃったら良くない」?

一方、「議論させるという目的」自体は何度も肯定している宇多丸さんは、『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」という回をお薦めしていた。地球人は実は先住民を駆逐し侵略して住んだ者たちの末裔で、ウルトラ警備隊はそれを知りつつ先住民の街を滅ぼしてしまうという、重いテーマを含んだ話である。「そういうものを議論のモトとしてやるのであれば、よろしいんじゃないですか」と意見していた。

日本はこれまで、学校教育の中で子どもたちに自分の意見を議論させる機会が少なかったが、これからは、異なる意見・文化・人種の人たちと共生していかなくてはならない。そういう部分を養う必要はあり、「考え、議論する」という方向は間違ってはいないように思う。

しかし室井さんは、「議論って言っても授業になっちゃったら良くないよ」と反対意見を貫いた。確かに、道徳が「教科」として採用された以上、先生が求める「正解」に偏る危険性はあるかもしれない。宇多丸さんも、「まあ先生が議論を誘導するスキルはまだないかもしれないけれど」と答えていた。




(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

お前文句しか言わないよね。お前の存在が嫌だわ。


お前反日集団に巻かれてるやんけ!


議論させる道徳、良いとおもうがね。日本の学生自分の意見だすの苦手すぎるし多少鍛えようよ、こういうので。


そりゃ時間が経てば解釈が変わるだろう、そこも含めて道徳だろうが。疑問を持つ、考える事が道徳であって、別に答えなんて必ず出す必要なんて1ミリも無い。こんな言い掛かり言ってたら、大学の哲学の授業なんて理不尽だらけで発狂するぞ


教えなきゃわからねえから教えるんだろw そのままわからねえアホが今の世の中作ってんだろw そうおまえだよ ってことで。


ウルトラセブンなら12話は本当に差別的で封印すべきなのか、むしろそれを言い出す人の方が差別思考なんじゃないかとかをディベートしたりするといいかも


とりあえず「すごいやだ」という幼稚な表現に対して嫌悪感がある。で、具体的な授業のやり方については一切知識を持っていないくせに、先入観だけで「教師が持論を押し付ける」と勝手に決めているので、それは間違いなのではないかと思う。


例えば読書感想文だって、「こういう風に書けば正解というテンプレ」の存在を前提として教えているわけじゃない。この人たちは学校に行ったことがないのか??


議論するための選択肢や世論を提供するのがメディアの役割なんじゃないの。全部のマスコミが一斉に同じこと言うのがおかしいと思わない人らだけじゃないでしょ。


まぁ、徳って教わるもんじゃなく積み上げるもんだから、向き合うことがまず前提であって。その上で道徳って何よ?と前提論にまで遡るならソレでも良いんじゃないかとw


道徳教育をちゃんとしないとこんな人間になっちゃうよって話かな?


普通に修身を復活させればいいのに。読んだことある人なら分かるけど、北斗の拳やウルトラマンの例えよりもずっとシンプルで親子で理解できる内容だよ。


毎回言うが、「躾は親がするべき物、学校は勉強だけ教えて人間教育などするな」と思ってる。価値観を一律にされ、倫理観に点数まで付けられる学校教育の道徳など、何の役に立つ。


最初に全否定から入るのって、会話を打ち切ったり壁を作って孤立するのにはいい方法だよね。自分の世界に閉じこもってれば良いさ。


まぁ道徳や倫理観は普段の生活の中で自ら学習するものだとは思うけど、ここまで拒絶反応を起こす理由が良く分からない。あと大概の大人は長いものにまかれてるんじゃない?我を通すだけじゃ生きていけないし。


この人の考え方を題材に道徳の授業で議論したらいいと思う


家族以外の他人が集団で行動、生活する場でのふさわしい自分の動き方を学ぶ場でもあるので、勉強以外は教えるなって言うのは暴論過ぎる。


躾をする親が道徳を失ってるから道徳の教育を取り入れようと言うことになってるのだろう。道徳と言うから抵抗したくなる気持ちが湧くのは分かる。が日本人同士が日本という国で共存する上で必要な情報を共有する為の教育を子供の内からしとかないとまずいという段階にきてるのは確か。


私は、この女の存在自体が凄く嫌ですけどね。話し口調がイラっとくるし性格が屑だし……それはさておき、議論をする道徳ってのもアリだと思う。考え方は人それぞれ違うんだし、自分はAだと考えている一方で他の人達はBやCの考えがある、といった具合で様々な考え方を意見したり知ることができる機会にもなる。


薩摩の郷中教育は、理にかなった部分も在ったかもしれない。